2017年5月16日火曜日

ランドローバー・レンジローバースポーツ 「これをスポーツカーと思う人はいないけど、車名がややこしい」」

  なんだかもう色々とややこしくて、ディーラーの人に訊いても返ってくる説明がさらによく分からないブランドの代名詞といえばランドローバー。某有名ライターの著書によると、「日本のレンジローバー・ユーザーのほとんどが勘違いしたまま乗っている」などと嫌味を書かれています。もう触らぬ神に祟りなしなのかもしれないですが、こういうカオスなブランドこそが「輸入車」らしいとも思うのですよ。トヨタやホンダに乗っている人が「勘違いしている」なんてまず言われないですから。ものすごくややこしいですが、ランドローバーが1970年発売したレンジローバーというモデルによって世界的に知られたので、「ランドローバー・レンジローバー・〜」みたいな名前になるようです。

  そのライターさんがおっしゃるには、日本のカーメディアではしばしば「レンジ
ローバーはイギリス貴族のクルマ」と紹介されるが、実際に開発を主導したスペンサー=キング氏に取材すると、設計段階では完全に軍用車両から派生した牧歌的なクルマでしかなかったという証言が得られたらしい。よってレンジローバーのユーザーは日本のインポーターがでっち上げたイメージ戦略にハマってんだよ!!つまり俗に『電通の自作自演』っていう虚構に満足してしまっているから『勘違い』なんだそうです。確かに2017年版の世界の自動車オールアルバムのLANDROVERの紹介にも「70年代になると・・・中略・・・英国王室ほか、世界中のセレブが愛用する高級車としてのポジションを確立する」と書かれてますね。

  軍用車両といってもあくまで偵察・連絡用として第二次対戦までは広く馬や二輪車が使われていたようですが、まず最初にアメリカが重機関銃を装備できる4WD車を馬の代わりに使おうと考えたようで、1940年に入札を行なったところ「アメリカン・バンタム」という弱小メーカーがこれに応じたようです。しかし生産能力が明らかに乏しかったようで、すぐさまフォードとウィリス・オーバーランドの2社にライセンス生産を命じたとのことです。この車両を拿捕した日本軍は終戦末期にトヨタに製造を命じたことがランクルの起源だと某WEB百貨辞典に記載されていますが、実際にトヨタがランクルの前身モデルをラインオフしたのは朝鮮戦争が開戦した翌年の1951年です。

  トヨタの社史には「警察予備隊への納入目的に作った」とされていますが、実際に長らく採用されるのは旧日本軍との強いコネクションを持っていた三菱でパジェロの前身モデルが選ばれます。なぜトヨタが採用されもしなかったランクルを試作しそのまま量販へと移行したのか? アメリカ人が書いた本によると、アメリカ軍から直々にトヨタに注文が出されていて、ジープを量産していてそのノウハウを活用してランクルを発売したとあります(真偽のほどは調査中です)。



  ランドローバーの発売が1948年なので、ウィリス(ジープ)→ランドローバー→ランクルの順番に登場したことになります。ジープは軍用車両ながら、生産能力増強が進まず年間3000台足らずという北米ビッグ3に遠くを呼ばない水準で、次第に米国市場でも下火になり南米が主力市場になっていきました。ランドローバーは世界初の特殊空挺部隊として知られるイギリスSASに採用されます。トヨタ・ランクルも1958年には早くも米国へ輸出が行われました(え?これって軍用じゃね?)。ウィリス・ジープがモタついている隙にシェアを拡大したのがランドローバーとランクルだったようです。

  経営不振になったジープは、アメリカンモータース(AMC)に身売りします。といっても米国自動車産業にその名を轟かすあのリー・アイアコッカ(当時はフォード重役)も、この1969年のタイミングでは買収提案をあっさり却下するなど、なかなか買い手が出てこなかったようです。ちなみにリー・アイアコッカはこのあと独裁者ヘンリー・フォード2世によって解雇され、クライスラーに移ったのちにAMCから取得したジープ・ブランドを復興しますが、これはどうも二番煎じだったようで、もともとは1969年にボロボロのジープを買い取る決断をしたAMCの幹部ロイ=チャイピンこそが本物の目利きだったようです。

  あくまで想像の話ですが、おそらくロイ=チャイピンは、アメリカ的な価値観が音を立てて崩れていく、ベトナム反戦運動吹き荒れる中で、豪華なリムジンから素朴なジープへ人々の関心は移っていくであろうことを完全に見抜いていたんだと思います。乗用車が限界まで豪華になった途端に、SUVの人気が高まる。まさに2010年代に世界で起こったことに近いことが、70年代のアメリカですでに起こっていたんですね。

  後部は幌で覆われ乗員のシートは布を張っただけのキャンバスシート。横転したら即死。そんな安全もへったくれもないジープに、ハードトップを取り付けて、ホールディング性能に優れるバケットシートを取り付けたところ、すぐに大ヒットしたらしいです。1969年のAMCジープの奇跡の大成功を知ってか知らずか、1970年にランドローバーから、ジープと同様にハードトップ、バケットシート、さらに本格的なフルタイム4WDが装備されたレンジローバーがイギリスで脚光を浴びます。


  1970年代にAMCジープとレンジローバーの登場で、一気にファッショナブルな存在になったSUVですが、1970年代といえばオイルショックやアメリカでの排ガス&燃費による規制が厳しくなって自動車メーカーにとっては冬の時代だったはず。しかしAMCジープ、ランドローバー、ランクルを始めとしたSUVは成長と遂げ、1981年にはメルセデスからも軍用ベースのGクラスが登場。1990年代になると、フォード・エクスプローラやハマーH1など、3大メーカーからも盛んに発売されるようになります。これにはちょっとしたカラクリがあるようですが、本筋から逸れるので別の機会にしましょう。

  ランドローバーは1989年にランドローバー、レンジローバーに続く第3のモデル・ディスカバリーを発売。1994年にはBMW傘下に入ります。1998年にはジープが属していたクライスラーもダイムラー(メルセデス)によって支配を受けるので、英米の2大SUVブランドがドイツの両雄によって一時は所有されることになりました。どうやらこの前後ぐらい(1998年頃)が現在のSUVブームにつながる起爆点になるようです。ドイツのロードカー文化に取り込まれてすっかり消化されたランドローバー、ジープの残骸は、ドイツあるいは日本の自動車産業がリードしてきたロードカー文化の影響を強く受けて変質してしまいました。

  BMWと新型ラダーフレーム(X5、レンジローバー用)を共同開発したランドローバーですが、なぜかBMW以上にロードカー性能にこだわるようになったようで、世界的大ヒットとなったポルシェ・カイエンに敗れ去ったBMW&ランドローバー連合軍の無念を果たすべく、BMWと新たにロード性能を高めたシャシーを開発したようです。しかし完成前にランドローバーはフォードに売却され、その後2005年に打倒カイエンを掲げたニューモデル「レンジローバー・スポーツ」を発売します。・・・もうややこしい。このクルマに大きく貢献しているのはBMWなのか?フォードなのか?

  ランドローバーも来年2018年で創立70周年を迎えることになりますが、その足取りはジープやランクルなどとリンクしつつも、1940年〜の第一世代、1970年〜の第二世代、2005年〜の第三世代へとざっくり四半世紀くらいのタームでブランドの存続する意義・立ち位置を変えてきていることがわかります。「軍用の時代」が終わり、「SUV保護法の時代」にブランドの価値を定着させ、「ロードカーSUVの時代」へと突入しています。

  初期の軍用ランドローバーの血を引くモデルはすでに廃盤となっていますが、第二世代に生まれた「レンジローバー」とさらに第三世代のホープとなった「レンジローバー・スポーツ」の2台が、SUVの最先端に立っているのは素晴らしいことです。M&Aの波になんども揺られて主が変わった不安定なはずのブランドが、世界中のメーカーがうらやむモデルを持っている!!これこそ開発者の情熱がほとばしっている証左ではないでしょうか?


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