2013年10月25日金曜日

BMWをバカにしてはいけない! F10系528i初期モデル 「最後の傑作」

  2010年のFMCで登場した「F10」はたった1年で2.5Lと3Lの直6NAが消滅するという、なかなかドラマチックな展開を見せているBMWの主力セダンです。年数が違うので単純比較はできないですが、初期モデルの方が中古車価格が高いのでは?という感じがします。BMWの事情は解りませんが、528i(3L直6NA)を2011年に「価格をそのまま」で2Lターボに変えました。必ずしもデメリットだけではないでしょうが、やはり同じ価格で2Lターボはいくらなんでも暴挙では・・・。

  その後、当然のように販売不振に陥りましたが、幸いな事にタイミングよく世界的に大不況期(リーマンショック)を迎えていて、高級車の販売は総崩れになったおかげで、さりげなく値引きをすることに成功しました。そのため今ではデビュー時より15万円ほど安くなっています。「殿様商売」と思われていたBMWが結構シビアに価格の調整をしてくるあたりに何らかの後ろめたさがあったはずです。もちろん上級モデルの方が限界利益は相当に大きいでしょうから、それなりの値下げにも耐えられるのですが・・・。

  2011年にF30(3シリーズ)が登場して以降、BMWびいきのプロライターの歯切れが悪くなり、ことあるごとにBMW全体の直4ターボ化に対してチクリチクリと言うようになりました。一方で他のプロライターは千載一遇のチャンスとばかりに「太鼓持ち」記事の仕事を大量に受注したようですが・・・。そんな裏事情もあって、少なくともカーメディアを見ている限りでは、F10もF30も相変わらず称賛され続けていたように思います。

  それでも現実問題としてBMWのラインナップに「買う(ほしい)クルマがないぞ〜」状態になってしまいました。ポルシェもどきの135iで満足できればいいですが、普通の感覚では5シリーズが1stチョイスだと思います。535iはありますが、初期の528iの方が断然に良いとまで言われる始末です。大型な車体をシャープなハンドリングで楽しむクルマにターボ付けてど〜すんだ!というのはアウトバーンの無い日本人特有の感覚かもしれませんが・・・。

  もちろん「いつもM5だよ」という筋金入りのセレブBMWファンにとっては、何にも変わらない日常なんでしょうが、700〜800万円クラスのクルマをちょっと(相当)無理して「夢を買おう」としていた人々にとっては完全にハシゴを外された恰好になってしまいました。憧れのBMWに乗る為に一生懸命頑張ってきた人々に「中古車」あるいは「直4」で我慢しろというのはあまりに殺生なことです・・・。

  できれば2010年モデルの528iをできれば当時のアメリカ価格(約500万円)に近い価格で再販してくれれば、「BMWは日本の宝だ!」とばかりに再び威光が復活するのですが・・・。このままだと「中国向け高級ブランド」として、ドイツ・英国・豪州・日本・アメリカといった市場で今後もバカにされ続けるだけですよ・・・。

  それにしてもF10特に初期の528iは惜しいモデルだったと思います。北米でインフィニティ(スカイラインとフーガ)に敗北したE60の汚名返上とばかりに、サスを日産と同じダブルウィッシュボーンに変えた効果でハンドリングも冴え渡り、ターボの535iよりもNAのこちらが良いという評価が続出するほどの傑作車でした。これはもう来年あたりに300万円を用意して中古を狙うしかないな・・・。

  

  

2013年10月5日土曜日

なぜ日本人はドイツ車が好きなのか?

  ドイツ車が好きですか?と聞かれたら、好きなクルマもあるし嫌いなクルマもあると自分なら答えます。まあ冷静に考えてこれ以外の答えがあるのか?という気もするのですが、不思議な事に、日本には「ドイツ車好き」という謎の思想を持った人々が多いように感じます(しかもプロのモータージャーナリストにこういう人がたくさんいます)。この思想・主張の本意はおそらく「(日本車よりも)ドイツ車が好き」ということなのでしょうが、この意見には私は真っ向から反対します。

  ドイツ車と日本車の統計を取ったときどちらが「工業製品」として優れているのか? 私の考えでは、ドイツ車の底辺が1でテッペンが10だとするならば、日本車の底辺は4でテッペンは12くらいではないかと思います。これを裏付ける客観的な資料はいくらでもあります。2013年の名目GDP比は日:独=10:7くらいですが、販売台数は日メーカー:独メーカー=5:2くらいです。平均販売価格のデータがないのでボラティリティはありますが、北米や欧州での価格は日本車の方が高いくらいです。他にもJDパワーの評価や衝突安全基準などあらゆる点で日本車の優秀性は客観的に証明されています。しかし、インドで競合しているVW・ポロとスズキ・スプラッシュのいったいどちらが優れているか?なんていう議論には、正直言ってそれほど興味はないです。

  日本市場で競争しているドイツ車と日本車の優劣の現在地点はどうなのか?ということにおいて、先述のドイツかぶれジャーナリストが語る虚言や空論がそのまま日本のクルマ文化を形成しつつあることには危機感を覚えます。ドイツ車の本質を語ることなく、日本車の揚げ足をとり「ドイツ車>日本車」という結論ありきで論じることに何の意味があるんだろうってカネ払って読んでいる立場からふと思ったりします(まあ自分のブログ記事も似たようなものですが・・・)。

  実際に日本に輸入されるドイツ車は高級モデルが大半なので、7~9くらいのクルマが多いです。まあ4や5のレベルの日本車と比べれば良く出来ているでしょうが、価格も2~3倍高いのだから当たり前かなという気もします。

  ちょっと前までドイツ車至上主義のジャーナリストのテキストには「車体剛性」や「油圧ステア」という紋切り型の文言がならび、日本車を次から次へと一刀両断していたようですが、今日ではそんな「定義」は全てなくなりました。ドイツメーカーが日本車をお手本に軽量化と電動ステアの改良に励むようになってきましたので・・・。

  福◯◯◯郎というジャーナリストは、ドイツメーカーの安易な日本車追従を「モラルハザード」と断定して厳しい意見を述べていましたが、そもそもドイツ車を「車体剛性」や「油圧ステア」といった言葉で「記号化」=「定義」してしまった日本人の認識が大間違いなのではないかと私は思います。先ほどの福◯◯◯郎氏は「定義」を踏み外したドイツ車を「似非」と断罪したようですが、おそらくドイツ人からしたら「コイツら馬鹿じゃねーの」と失笑を買うレベルの意見じゃないでしょうか・・・。

  ニーチェの金言に「定義できるのは、歴史をもたないものだけである」とあるように、ドイツ人は「歴史あるものは定義ができない」ということがよく解っています。ドイツ車も日本車も韓国車もそれぞれに歴史を持っているので「定義」できないというわけです。クルマを支配する第一義的な原理は「定義」でも「物的価値」でもなく「行動」だと考えるのがドイツでは一般的です。日本の金持ちが家の前に停めてる400psのAMGや911ターボはほぼ「定義」や「物的価値」としてしか意味を成しませんが、同じクルマがドイツで所有されればそれが「行動」という意味を持ちます。そしてアウトバーンを日本に作らないかぎりこの格差は埋まりません。

  正直言って、日本でクルマを作っている人とクルマを論じている人の間には天と地ほどの大きな隔たりがあるように感じます。日本車の1台1台にもドイツにおけるドイツ車のように「行動」の哲学をしっかりと感じることができます。しかしドイツ車至上主義のジャーナリスト(誰だよ?)の手にひとたび掛かれば、まったく無意味な「定義」で測定されたあげく、「せいぜい☆3つだな・・・」なんて評価をしたりしています(もちろん評価すること自体は自由ですが・・・)。その度に私は心の中で呟きます「オマエらみたいなクルマキ◯ガイなブサ◯クオヤジにまともな人の幸福とかわかるのか?」と・・・。

  

          ↓「☆3つ!」とか言ってんじゃねーよ・・・日本人の恥さらしが!